「受動的」グレーゴルと「身体」ー『変身』

 〈ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。〉―唐突にも奇虫へと変身していたという彼の「発見」は、ほとんど他人事のようである。

 グレーゴルの「変身」の理由には最後まで一切の説明がない。いわゆる「不条理」である。しかし彼は身に降りかかったこの「不運」をただ一瞥するのみで、すぐに外交販売員という仕事への鬱屈とした不平の陳述や、不慣れで不恰好な身体の操縦に精を出す。またグレーゴルはそうはいっても上司には逆らえないもので、時間に間に合わせるために寝床から出ようと、体を揺らし、頭部を捻り、甲羅をずらすなど、懸命にもがいたりして、ついには父親が背の下に手を差し入れて床の上においてくれればいいのにと淡い夢想を始める。彼はもうすでに「巨大な虫」であるのに!

 グレーゴルにとってこの「不条理」、すなわち「奇虫へ変身していた」という事実は、もはやもっともどうでもいいことのようなのである。その意味で、グレーゴルは「運命」にきわめて従順かつ受動的であるといえるだろう。


 この「不条理」への受動性は、虫となったグレーゴルの「身体」と密接に結びついているのではなかろうか。彼の身体には無数の脚がもぞもぞと蠢いている。「変身」以来、鍵のかかった部屋で餌がわりに差し入れられる食べ残しや掃除を待つだけになったグレーゴルは、父に疎まれ、母を幾たびか昏倒させ、世話役の妹からすら目を背けられる。じめついた仄暗い部屋の一隅こそ彼の住居であった。

 そしてこの「脚」は、一度たりとも家族への反抗や攻撃のために用いられることはないのだ。憤慨した父に追い回されても、彼は床を這い回って逃げまわるのみである。この逃走というのも、父が止まればまた止まり、動き出せばまた逃げるといった健気なもので、脱走しようなどとは考えもしないのだ。

 だが最後の第三章において「身体」は逆に、グレーゴルの受動性に変革を起こしているように思われる。妹が部屋の外で引くヴァイオリンの音、不器用でぎこちないその音は、グレーゴルに妹のすぐそばまで進んでいってスカートの裾を「咥え」て気をひく空想をさせ、また一緒の部屋まで連れて行ったならば、誰も寄せ付けないために〈おれの恐ろしい「姿」はそのときはじめて〉役に立つのだと彼は考えるのである。ここでは「口」と「身体」そのものが、服従ではない、彼の意志のために用いられようとしているといえるであろう。その後彼は自分の願望のために、のそのそと部屋を抜け出で姿を現わすのである。

 「身体」の用法の転換は、グレーゴルの意志ないし主体性の萌芽と関係しているのである。

ある文学作品の概要、およびひとつの「解釈」が生きる場所

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